ニューヨークの恋人
現代女性が求める男性像。
「ニューヨークの恋人」が教える、時代を越えた究極の愛とは・・・。

主演はメグライアンとヒュージャックマン。
ヒロイン、ケイト(メグライアン)は4年間付き合った恋人と別れ、相手にとって自分がいかに軽い存在だったかに気づき密かに傷ついていた。
そしてレオポルド(ヒュージャックマン)は19世紀のニューヨークで愛する女性とめぐり逢えないまま結婚相手を決めざるを得ない状況にあった。
そんな2人が125年の時間を越えてめぐり逢い、運命の恋に落ちるファンタジー。

この映画はタイトルからして特にインパクトもなく、メグライアンが出演ということで、私の中で『メグライアン主演の恋愛映画』という勝手なカテゴライズがあった為、『めぐり逢えたら』に毛が生えたモンだろうという、たいした期待もしないテンションで観たのだが、意外と面白かった。
期待せずに観た映画ほど面白く感じるのはなぜだろう。

メグの映画を観ると常々思うのが、感情表現がとにかく可愛い。
私の中でキャメロンディアスと1位2位を争うくらいだ。
もう40歳を軽く過ぎているというのになぜあんなに可愛いのだろう。
日本の女優だと黒木瞳しかり・・・。
喜ぶシーンは特にメグらしさが出ている。
喜怒哀楽すべてに彼女らしい自然な表現があり、皆それに惹きつけられているのだろう。
昔と今の生活感の違いがとても面白く表現されていた。
レオポルドの言動、行動すべてにおいて今時あんなに古風でレディーファーストで誠実過ぎる男はなかなかいない。

現代では日本でも男も女も中性化してしまって内面性の性別の区別がない程だ。
良くも悪くも・・・。
男は昔は体を張って愛する女性や家族を守り、その為に人生を賭けて仕事に徹していた。
女も自分のわがままを無駄に通したり、料理や掃除などの家事が完璧にこなせなくても世の中から除外されたりしない時代だ。
もちろんそれだけが人生においてすべてではなく、所謂「男らしさ、女らしさ」がなくても許してくれる異性もいるだろう。
だが、時代や文化を越えて錆びることのないマナーや男らしさ、それを感じ、素直に湧き上がってくる女らしさがあること、人間にしか表現することの出来ない人とのコミュニケーションに心動かされた。

特に日本は世界に誇るべき礼儀作法や文化を持ちながら、その文化は軽んじられ中途半端にアメリカナイズドされた無作法で傲慢さはありつつ、アメリカほど絶対的な自分に対しての自信やパーソナリティは薄い。
この良い所だけを汲み取り、成長出来る人間がこれからの時代に必要な人材であろう。