u子の山陰便り 出雲大社献茶祭
2006年11月号

 今年の秋は出雲大社献茶祭を表千家の家元がご奉仕される、と茶道の先生から伺いぜひ参加してお点前を拝見したいと思った。時は11月13日。ところは勿論出雲大社神楽殿。
山陰便りで出雲大社についてはお話したことがあるので、出雲大社のいわれなどは省略するが、とにかく境内は広いし観光客も多い。しかも出雲市内には結婚式場はここ一軒だけ。今人気のチャペルなどある会場も見当たらない。古式豊かな結婚式が執り行われている。
その神楽殿でのお手前だった。

 午前11時に献茶式が始まるが、9時台には到着していたいという茶道の先生の方針で7時すぎには自宅を出発した。ということは和服を着ていくから・・・早起きだった。1年以上にわたって自分で和服を着られるように「特訓」してきたから、ちょいちょいと着付けて簡単よ・・・と涼しい顔をして言いたいところだが、それはまたそれで、襟をぬき、帯をピンとひっぱり、馬子にもオベベを実践して車を運転して出雲大社に行った。
 献茶祭の参加者は山口・広島・岡山・鳥取・島根など中国地方を中心に、遠来として近畿や九州の方もおられた。総勢350人と聞いた。
 袴をつけた男性から振袖のおじょうさん、帯がちょっと曲がった着付けのおばさんまで和服、和服、和服の波。日本人に着物というのはいいものですねえ・・・と思いながら飽きるほどにその姿も楽しんでしまった(^o^)

 午前11時、神楽殿に家元が入場され、出雲大社神官による参加者へのお祓いや祝詞、その後、宮司の献茶の奏上文が読み上げられ、出雲大社の紋の入った茶碗、茶入れ、水差しなどをしつらえた席での美しく実に厳かな家元のお点前があった。点てられた茶は濃茶と薄茶の二服。神前に用意された台に置かれると衣冠束帯を調えた宮司がするすると進み出て、茶碗を捧げもち祭壇をのぼって大国主命にお供えする。絵巻物の中に一瞬は入ってしまったような儀式に見入った。
 茶は一期一会の精神で点て頂く。出雲の神様に献ずる家元のお点前は静かだが凛とした空気を漂わせていた。
 茶席は3席用意され、美しい茶道具や軸、美味しい上品な菓子が登場し、茶道には新参者の私でさえもため息をつけるほどの名品をたくさん拝見することができた。

日本二大茶会として東京で春おこなわれる大師会、京都の秋の光悦会があると聞く。縁があれば名のある茶会に一度は行ってみたいものだと密かに思っていたが、まさか出雲大社献茶祭に参加できるとは夢にも思わなかった。

 千利休が茶道を確立してから400年。ややこしい所作など面倒だという人もたくさんおられる。土をこね、窯でやいた茶碗に価値ありという茶人の言葉には、わけがわからぬという人も多いに違いない。
 しかし、陶工が工夫をかさね、技量を尽くした精緻である。
数多くの茶道具は蔵の奥深くしまわれるだけでなくここぞというタイミングで取り出され、使われる。そして人々の手に触れられ価値を見出されることもある。
 こんな文化の一旦を知れば、一つの物の見方の多様性を知り、そのときに価値を理解されずとも何百年もかけて賞賛される事実を知ることができる。見方によっては土の塊かもしれぬ茶碗も一国の領地の価値と同一と評価された実績さえあるのだ。

 昨今の子供たちの不幸な事件を思い返し、わずか10年や20年生きただけで自ら死を選ばずとも、よいのではなかろうか、一つの茶入れ、一つの茶碗さえ、長い時間をかけ、多くの人々の手を通して賞賛されるのだから、と思いながら帰途についた。