u子の山陰便り 美人を花に例えると何?
2007年4月号

 平地で桜の花が咲き始めると歩いて見て回りますが、やがて忘れられたような山の斜面に立つ桜を目にするようになると自然の大きさや強さを感じます。古くから人里離れた場所に1本たっている桜の木の根元には何やら怖いものが埋められていると言い伝えられていますが、いったい誰が言い出したのでしょうね。こんなことを想像するのは「高嶺の花」という言葉を思い出したからです。
手の届かない場所にある美しい花、いったい何の花なのでしょうね、というと傍らの誰かさんは、花じゃない女の人さ、といいます。でも、私は百合?バラ?ぼたん?と思いを馳せてしまいます。少なくともチューリップではない、チューリップが好きな人はギャンブラーでお店の人と結託すればチューリップは手に入りそうですもの。胡蝶蘭は蘭の女王様だから高嶺の花だといいたいけれど大抵温室で栽培されていて足元に置かれた鉢の中にあり高い嶺に生息していると思えません。菊の大輪といいたいけれどこのところ、このところ、いやというほど続いたお葬式に登場する花で何とも複雑な気持ち。

「君はバラより美しい」とおだてられても(本当はおだてられたことはない)「綺麗な花にはとげがある」という言葉が隠れていて美人の代名詞にしたくないです。
女の人だと考えると「ゆりこさん」「ゆりさん」「さゆりさん」などという名前の人と結婚した人は高嶺の花を手に入れたことになりそう。バラ子さんだと内部告発されそうだし、ぼたんチャンはかけ違いに後から慌てそう。

 こんなとりとめのないことを考えたのは、気温の低かった先週に咲き始めた桜を見に行ってのこと。大勢の花見客が繰り出していたけれど花は満開とまでいかず、「枝もたわわに花が咲いてこそ花見だ」とか傍らでブツブツ繰り返される始末でした。「せっかく、出てきたのだから文句を言わずに見て歩きましょうよ」と思ったけれどどうやら花より団子だったよう・・・
屋台を覗いてタイヤキを買い、食べながらの花見と相成りました。

 数日後、山陰の桜も満開。美人がどうした、高い場所に咲く花は何なんだとこだわることも忘れお花見のはしごをし、ようやく落ち着きました。そして今日、山の斜面の花に気がつきました。梨の花です。

 山陰にやって来た1年目は梨の花が終わっていました。
2年目は梨の花がさいているのに気がつきませんでした。
今年、見事に咲く梨の花を写真に撮ることもできました。撮影しながら枕草紙では梨の花は「まったく風情のない花だ」とこき下ろされていることを思い出しました。調べてみると中国の詩人・白居易は、楊貴妃が梨の花のように美しいと讃えていました。
ぎょくようせきばく なみだらんかん りかいっし はるさめをおぶ
玉容寂寞 涙欄干 梨花一枝 春帯レ雨
(「美しい玉のような容姿だが顔は淋しげ、涙をはらはらと流す彼女はまるで一枝に咲く梨の花だ。春の雨にぬれている。楊貴妃を失って悲しむ玄宗皇帝のために、仙界より呼び寄せた楊貴妃の姿をえがいた長恨歌)

みいつけた!
高嶺の花は(私の結論では)梨の花です。もちろん平地にも梨畑はもちろんありますが、山の斜面にも梨の木は植えられていました。花は純白で可憐で美しい。そして大昔の唐の時代に楊貴妃に例えて梨の花をうたった詩人が存在したのです。

山陰はこれから米子市内ではつつじが咲き、大根島(中海の中の島)で牡丹が、大山の麓で藤が、伯耆町の花回廊ではオランダからやってきたチューリップも咲きそろいます。
春の山陰で花をたくさん見てください。