u子の山陰便り 温泉津温泉(ゆのつおんせん)

 山陰地方は温泉の宝庫です。
2007年で定年退職の人が多いと聞きますが、定年後したいことの一つが旅行。
国内旅行するなら山陰の温泉めぐりはいかがでしょうか?

 そう勧めるわけは私が温泉にすっかりはまっているからです。
自宅を出て東へドライブをすれば、岸本温泉、淀江温泉、大山温泉、中山温泉、三朝温泉、羽合温泉(ハワイと読みます。道路沿いにソテツが植えられ南国ムードいっぱいです)、浜村温泉、永楽温泉など看板が目に入ってきます。
反対に西にいけば、鷺の湯温泉、宍道湖温泉、湯田温泉、海潮温泉、玉造温泉、湯の川温泉、立久恵温泉・・高級老舗旅館から公共の日帰り温泉など様々です。

 こちらの住人になってから観光客ではないのに観光案内所に行き案内地図や観光施設のガイドブック、割引入場券などせっせと手に入れあちこち「探検」と称してでかけていきました。
帰ってきては、次にでかけるところを探しては楽しい思いをしました。
で、地図上で必ず行ってみましょうと2年前から思いついていて3度もチャンスを逸したのが「温泉津温泉」です。
この5文字誤植ではありません。ゆのつおんせん、と読みます。
 温泉津に行こうと思ったわけは、3つあります。世界遺産登録を目指している石見銀山から産出される銀の積出港(江戸時代)、温泉街の町並みが残っている、登り窯が築かれ温泉津焼きの窯元で陶器が作られ、山陰には珍しい温泉津ガラスも作られている、とわかったからです。

 でかけて行ってわかったのは、港は「津」と表現され、温泉があるから温泉津だという名称だとのこと。戦国時代から石見銀山の支配権を巡って戦いが繰り返され、江戸時代になってから徳川幕府の天領となり北前船の寄港する港になったことがわかりました。温泉津の港はリヤス式の海岸で天然の良港、船を繋いだ鼻ぐり岩などあり美しい景色でした。
 温泉津焼きは江戸時代中期に瓦の生産から始まりアメ色の壺や水瓶など出荷されました。

港から徒歩で20分ほど歩くと窯元に到着できます。品物を見て歩きました。
Q「どちらから?」 A「安来です」 この問答で窯元ではすっかりなじみ客になれるのもこちらにやってきて知ったことです。
そのわけは「ああ、寛次郎さんの」という答えがどこの窯元でもあるからです。
安来は河井寛次郎の出身地。私はけっして河井家の縁者ではありませんが、陶器職人は安来在住だとわかると、寛次郎を思い出して親近感を持つ人の良さがあります。
郷土の偉人に感謝!! 登り窯は30mの15段と20メートル10段のタイプと二つあり、日本一。圧巻でした。

 温泉津焼は、石見銀山でわかるように鉱物資源に恵まれた地質から出る陶土が優れており、堅牢な生活雑器製作に最適だとのこと。鑑賞用というより、丈夫で飽きのこない陶風の品が今もひとつひとつ丁寧に製作されていました。
 温泉津焼が出回ったのは北前船で運ばれ売買されたからでした。製造メーカーと流通業はいつの時代でもセットですね。 
 龍神や仏さまに航海の安全を願った寺社、廻船問屋、町屋が約800メートルも続く風情ある温泉街の散策もできました。温泉津ガラスの器に地酒を注ぎ乾杯し、れんこ鯛の塩焼きは絶品、山菜の天ぷら、魚介類の和え物、白身魚の陶板焼き、他のご馳走は酔っ払って忘れました。

 温泉に何度も入り、新緑の中をドライブして戻りました。
 冒頭で書いた3度も計画して出かけることが出来なかった理由は、家族の検査入院や葬儀など直前になると見事にアクティデントが発生しました。今回も「また温泉津に嫌われるのではないかしら」と心配していましたがやっと望みが叶いました。こういう意味では2年がかりでたどり着いたとおーーーい温泉津温泉でした。