u子の山陰便り ベンガラの町・吹屋
備前岡山の中国山地の中に吹屋という集落がある。
出かけてみましょう、とずいぶん長い間思っていた。
かつてベンガラの産地として栄えた町だ。
ベンガラという言葉で思い起こすのはベンガラ格子、格子の向こうにズラリときれいどころが座っているあれ。
ベンガラは塗料で、実は酸化第2鉄(Fe2O3)漢字では弁柄と書く。
朱とともに昔から使われた赤い色の顔料。
身近にある品なら九谷焼や伊万里、京焼きの皿や茶碗に描かれた絵の赤い色と言えばいいだろう。
銅山の捨石の硫化鉄から偶然この吹屋で発見されたらしい。
硫化鉄の含まれた原料(ローハ)を土の窯でまきを使って700度くらいで焼き、残留物(焼キ)に水を加え選別し水車を使って石臼でひく。
次に含有した酸素を抜き天日干ししてベンガラになる。
力仕事でその上根気のいる作業、江戸時代中期(1707年)からこの吹屋地区で、日本で使用する量をほとんど賄っていたとか・・・。
岡山道の有漢ICから50キロ、標高550メートルの山中に吹屋はある。
高速道路をおりて国道180号を通り道標から横道に入るとくねくねした山道が延々待っていた。
時には対向車とすれ違うことができない道幅のところもあった。
帰り道にわかったことだが、有漢ICではなくもう一つ岡山寄りの賀陽ICからの広域農道であるかぐら街道を通れば楽だったが、何事も初めて、というのはこんな冒険がつきもので、それがまた楽しいとも思う。
山道をずんずん進んで、吹屋の入り口に着くとびっしりと立ち並んだ赤い建物が出迎えてくれる。
江戸時代には吹屋近郊で採れる銅と出雲地区で採掘される鉄とこの吹屋のベンガラが吹屋地域に集まり、山を越えて、瀬戸内海の港へと運ばれたとのこと。
今でこそひっそりとしたこの町は、鉱物資源を商う商人の町だった。
今は吹屋ふるさと村として国選定の重要伝統的建造物群保存地区になっていて、300メートルほどの道の両側に石州瓦、弁柄格子の家屋がずらりと並んでいる。
日の光に映えてとても美しい。
この町並みを少しそれた丘の向こうには1900年から10年をかけて建てられた吹屋小学校がある。
この校舎は現役の木造校舎としては日本一古い建物。
訪れた日は夏休みだったが、プールに子供の甲高い声が響いていた。
出かけてみてわかったことだが、弁柄はただ顔料として使われているのではなく
フェライト:ラジオ、テレビ、ビデオ用品、磁気チケット
磁気トナー:コピー機、FAX
磁気記憶媒体:オーディオテープ、磁気ディスク・カード
触媒:環境浄化(排水や排ガス)
として使用され、日本製のベンガラは世界一の品質であることがわかった。
長くIT業界にいた者として、「大変お世話になります」と感謝しなければならない。
帰り道広兼邸を訪ねた。
ベンガラ原料製造で巨万の富を築いた広兼家の屋敷だ。
城のような石垣や楼門があってその富の大きさをしのばせる。
江戸末期に建てられたお屋敷だが、どこかで目にした人も多いかもしれない。
この建物は横溝正史の八つ墓村の映画ロケ地に2度も選ばれ地元では協力大だったとか。
建物の敷地は2,581平方メートル 建物は704平方メートル。
庭には灯篭の他、水琴窟もあった。
邸宅の向かいの山に広兼家個人の天広神社がまつられていて、何もかも大規模だった。
ベンガラで染めたハンカチやスカーフ、和紙、陶器がお土産物として販売されていたが、ベンガラそのものを仕入れてきた。
半年ほど前に始めた出雲和紙や布の染色用に。
どんな染め具合になるか今からワクワクする。