こうみそだて その4 「ノイローゼの予感」

 座産というその時の自分にピッタリのスタイルで出産でき、産まれたわが娘も無事AP10点(産まれた子どもの状態をあらわし、最高が10点)、一日続いたこの世の終わりとも思える痛みから解放されて、泥のように眠る私であった。半月遅れでのんびりと出てきた子どもも、ぐっすり寝込んでいる。鼻の頭に黄色っぽい粟のようなプチプチが付いていて、これはなにかと助産婦さんにたずねたところ、「充分成長したっていうしるしですよぉ。長くおなかにいたものねぇ」とのことで、一週間もすれば自然に消えるという。ここの助参院は、母子同室。私のべッドのすぐ隣に、ちっちゃな新生児用ベッドが置かれており、産まれてからずっと私はわが子と一緒だった。
 自然分娩だったおかげで、会陰切開もせず(急にいきんで切れないように、助産婦さんがうまい具合に少しずついきみをコントロールしてくれたのだ)、比較的すぐにイスに座ることもできたし、トイレも困難ではなかった。おいしくごはんをいただき、眠りこけている赤ん坊をのぞいては微笑みかけ、私もベッドでグースカ寝ていた。順調な産後だった…はずだった。
二日目くらいだったろうか、助産婦さんが部屋に来て、「赤ちゃんにおっぱいをあげる練習しましょう」というのである。「なるべく早く練習しないと、赤ちゃんも吸うことを忘れちゃうし…。初乳(※)も飲ませないとね」という。もう少しゆっくり寝たいなあ…などと思っていると、寝ている赤ん坊を起こし抱っこして、助産婦さんが私の隣に座る。
 それから私と子どもとの汗と涙の日々がスタートしたのだ!「おっぱいをあげる」――これだけのことが、なぜこんなに難しいのだろうか!? まず、乳首をうまく赤ん坊の口にふくませることができない(というより、ふにゃふにゃで壊れてしまいそうな新生児を満足に抱っこすることもままならない)。やっとこさ口にふくんだと思うとすぐにはずれてしまう。苦戦してようやく少しあげることができたものの、ずっと抱っこしていた腕はへんに力が入っていたようで早くも筋肉痛だ。悪戦苦闘している私を見て、「どっちも新米だもの。そのうちお母さんと赤ちゃんの呼吸が合ってうまくいくわよ」と助産婦さんは、枕を私のひざに置いてその上に赤ん坊を載せ、腕の負担を軽くしてくれた。そして、指導してくれること約1時間。「赤ちゃんが泣くごとにおっぱいをあげてね。そのうち、胸も張ってくるわよ。最初は1〜2時間おきかしらね…」と微笑みながら行ってしまった。
 ええーっ!! 1〜2時間おきい〜? なにやらいやな予感がした。おっぱいのほかに、おむつ交換もある(これも教えてもらったが、うまくいかず、おしっこがもれてよく布団をぬらしたものだ)。おしっことうんちが出たら、その都度ノートに記入しなければならない(ちなみに母親のもである…)。一日二回、体温を測らなくてはならない(これも母子ともに)。ちょっと待ってよー。出産直後に、こんなにやらなきゃいけないことがあるわけ〜?! 命を産み落とす――なんだか取り返しがつかないことをしたように思えてきた。窓の外から、紅葉した木々が見える。どんよりした曇り空――。なんだか私のこころもこの空のようにブルーになっていった。
 いやな予感は的中した。それからが、大変だった。ちょっと寝ようと思うと「ギャー!!」と泣くわが子の声で目を覚まし、お乳を与える。赤ん坊には、昼も夜も無い。一日二十四時間、二時間おきにギャーギャーと泣く。そのたびごとに、おっぱいか、オムツかとオロオロする。そして、私は夜寝ないことにめっぽう弱い体質であった。なんだか、げっそりしてしまった私を見て、助産婦さんは「夜だけ預かりましょうか?」と言ってくれたのだが、早くも母親失格の烙印を押されるみたいで「だいじょうぶです」と強がる私であった。相変わらずおっぱいもあまりうまくあげられず、母子ともにイライラしてこっちも泣きたい気持ちになる。そんなストレスからか、母乳の出もいまいち…。ほぼ同時期に出産したYさんはおだやかな子ども好きな人らしく、「かわいいねぇ」といいながら、母乳がほとばしっているというのに…。
 入院中、両親や連れ合いのお母さん、友達などが次々に訪れ、ちっちゃな赤ん坊を見ては、「くまこに似ている」「いや、Sちゃん(連れ合い)だ」などと好きなことを言って楽しんでいた。心から出産を祝ってくれる気持ちが伝わってきて、本当にうれしかった。が、みんなが帰って、子どもと二人きりになると急に不安になる。泣き声を聞くと「おっぱいか?」「オムツか?」とパニック状態になる。
 最後に、沐浴のさせかたを教わり、退院することになった。本当にそれまでの人生観が180度変わるくらいの一週間だった。好きなときに起きて、好きなときに食事をし、好きなときに眠るというこれまで当たり前でしてきたことが、この三キロにも満たないちっぽけな存在によってまったくできなくなってしまった。これからどれだけ「子のペース」が続くのだろうか…。子どもを産み育てる、こんな当たり前(と思っていた)ことが、こんなに大変だったなんて!! 世のお母さんは、どんな社会的地位がある人よりノーベル賞受賞者より「エライ!!」と心底思った。母をみる目も変わった(←尊敬)。 連れ合いは、忙しい仕事を早めに切り上げて、来れる限り産院に来てくれていた。退院用のきれいな白いドレスを着せられた赤ん坊を抱っこして、「ねぇ、撮って、撮って」と、それまで写真を撮られるのは苦手であった連れ合いが、嬉々として写真を撮ってくれといっている――。この人も変わった。これから、どう二人でこの赤ん坊を育てていこうか。とりあえず、母乳は出るようになるのだろうか…。実家に着くまで寝ていてくれるのだろうか…。いつになったら、夜続けて三時間以上寝られるようになるんだろうか…。出産ヤセした私は不安をいっぱい抱えながら、連れ合いの運転するレンターカーで一ヶ月すごす予定の千葉の実家へ向かったのだった。(つづく)

※初乳…母乳の最初に出る黄色っぽいもの。免疫物質・細胞を含み、無菌状態の赤ちゃんを守ってくれる大事なもの。