こうみそだて その5 「ダブル母子対決」
おっぱい→うんち→おしっこ→すいみん→おっぱい→うんち→おしっこ→すいみん(たまにゲボ)…と、いつ終わるともない赤ん坊との生活。よく腐らないねと連れ合いにあきれられるほど10時間でも平気で熟睡できる体質なのに、3時間と続けて寝られない生活。出産後わずか十日にして、私はすでにギブアップ寸前であった。
千葉の実家では、一人娘のかわいい初孫を今か今かと待っていた両親が、満面の笑みで迎えてくれた。げっそりしてしまった私を見て、「少し寝たら?」と気遣う父母。「大丈夫」と強がる私。今思えば、2〜3日、何もかも預けて、少し休息したほうがよかったのだ。しかし、そのときは、「私が産んだ子、私がしっかりしなければ…」と肩肘張りすぎていたのだと思う。さらに、持病のアトピーが悪化したのも、落ち込みげっそりした原因。母乳をあげているため薬が使えず、なんだかひどいことになっていたのだ。
加えて、母乳の量についても不安を覚える私。やはり出がいまいちのようだ。友人が校正の仕事をしている育児雑誌「わたしのあ○ちゃん」を半年分プレゼントしてくれたのだが、初めて読むこの手の雑誌は、おっぱいやミルクの量が事細かに書いてあり、「なになに、一ヶ月でミルク○CC…おしっこ○回…うーん、うちと違う!!」と、多少の誤差はあって当たり前なのに、「本と違う!!」と、それまでの私なら笑っちゃうようなことにいちいち神経を尖らせるようになってしまっていたのだ。「クロワッサン症候群(古くてスマン)なんてアホとちゃう?」とそれまで雑誌に左右される人をあざわらっていたのに、見事に「わたしのあ○ちゃん」に左右されている私であった。おまけに、顔にポチポチしたものが出始めて、やはりアトピーなのだろうかとますます落ち込んでいく。
思い切って、助産院に電話してみる。「退院しても24時間待機しているから、何かあったらいつでも電話してね」と言ってくれていたので、お言葉に甘えてみたのだ。「おっぱいが足りないようなら、白湯を補充してみてね。それでも駄目なら少しミルクを足しましょう。ポチポチは、アトピーではないと思うよ。脂漏性湿疹といって赤ちゃん特有のものではないかしら、あまり心配しないでね…」。何度もお礼を言って、電話を切る。しかし、翌日にはまた不安が襲ってきて、再び電話。こんな調子で、私は毎日不安になって電話していた。まあ、助産婦さんも退院した人からしょっちゅう電話がかかってきて、さぞかし迷惑だったことだろう。それをおくびにも出さず、徹底した仕事人ぶり。頭が下がる。
そんなある日、私はついに「壊れて」しまった。ちょっとしたことで母と言い合いになってしまったのである…。こういう場合、父は「少し横になりなさい」と冷静だが母は違う。「何様のつもりなの!!」と手厳しい。母は母で、一生懸命やっているのに、この子は!!という気持ちだったのだろう、「はれものにさわるようにして、ごはんを作ったり、オムツを替えたり、いろいろとやっているのに。だいたい、子育てなんてそんなに大変じゃないわよ、もっと楽しくやったわよ」…と次から次へと猛襲が続く。こらえきれず、「だって、あたしだって一生懸命やってるのに…アトピーもつらくて…赤ん坊をお風呂に入れるときだって、手がしみて痛いし…」と、三十過ぎの女が言うとは思えない支離滅裂な反論、涙でぐちゃぐちゃになりながら言い返す。久々の母子対決である。
誤解のないように言えば、うちの両親(とくに父)と私はどちらかというと温和なほう。生まれてこのかた、けんからしいけんかもほとんど記憶にない、のんびりとした家族そのものであった。それなのに…。ああ、この4キロにも満たない赤ん坊の存在に、大のおとな3人が振り回されている。悪かったと反省すべく居間のほうに行くと、なにやら母の話声。「…お父さん、お風呂に入れてあげてよ。くまこも薬が使えないからアトピーがひどくなって大変なのよ…」――この日からお風呂当番は父の役目となった。
今にして思えば、ミルクの量も、雑誌に載っている赤ちゃんより10t足りない…といった程度のことだったのに、なぜあんなに敏感になっていたのか。ズバリ、あの時期まさにぞくにいうマタニティーブルーだったのだ。ホルモンバランスの変化で、こうも心に影響が出るとは、まったくもって女性のからだは神秘である。マタニティーブルーからすっかり解放されたころ、一足先に出産した韓国人の友だちにその時のことを話したら、「赤ちゃん、最初はかわいいと思えなかったよ」「私はおっぱいあげるの、めんどくさくて、すぐにミルクにしました」「彼の実家のお母さんが来てくれて、一ヶ月間はお母さんが赤ちゃんの面倒見てくれました。私はゆっくり休みましたよ(笑)。韓国では当たり前のことです」とケロッと言われて非常にガックリきた。「かわいいと思えない」「めんどうだから、ミルクにした」「母に一ヶ月世話してもらった」――グッと来た。どれもが、思っていても口に出せないことだった。しかし、本当は誰もが多かれ少なかれ思っていることなのではないだろうか。「大変だ、めんどくさい」と言ってもよかったのだ(少なくとも信頼している人たちには)。なあんだ、そうかあ。彼女に言われて救われた。私だけじゃなかったんだ。このとき、あらためてマタニティーブルーから開放された気がしたのであった。 (もちろん、彼女も私も、自分の子は目に入れても痛くないですよ、今は。うんちしても、ゲボしても、自然にいとおしく思えてくるものなのですね)
一ヶ月健診も迫り、いよいよ家に帰ることになった。休みのたびごとに実家に来てくれていた連れ合いは、寝ているか泣いているかだけの同じような赤ん坊の写真をたくさん撮っては満足して、次に来たときに見せてくれる、そういう生活をしていた。帰るために、レンタカーで実家にやってきた連れ合いとともに車に乗り込む。なんだかんだいっても、父も母も本当によく私たち母子の面倒を見てくれた。「ありがとう!!」遠ざかる父母に手を振りながら、今日から二人で育てていくんだ!と、(今にして思えば)しなきゃいい決意をしつつ、家へ向かう私であった。(つづく)