こうみそだて その10 「親と子は別人格」

 食事の世話、下の世話、歩行の世話…と限りなく人の手をわずらわせていた赤ん坊の時期も一時なんだなあ…と実感できたのが二歳を過ぎたころだろうか。フォークやスプーンを上手に使い、保育園だけあってトイレトレーニングは早くからばっちりしつけてもらい、歩くのはもちろん走り回るようにもなった。

 こうなると、慎重派で内気な娘ではあるが、友達の存在が気になるようで、三歳ごろには気の合う友達も出来始めたようだ。娘は、比較的誰とでもすぐ仲良くなる私とは対照的で、一人、二人と特定の子としか遊ばないようであった。また、お客さんが来るとしゃしゃり出てお菓子を運んだりペラペラとおしゃべりしたりしていた私とは違って、道の途中で知っている親子に会っても私の陰に隠れてしまうのであった。
自分の子どもだけど別人格なんだなあと感じるとともに、すぐには彼女の行動が理解できず、「もっとたくさんの友達と遊んだら?」とか、「きちんとあいさつしなきゃダメ!!」などと口うるさく言ってしまう私であった。たびたび、こういうことがあり、ある日きつく叱ってしまったところ、そばで聞いていた連れ合いが来て「恥ずかしいんだよね? パパもそうだったからわかるよ」と娘を抱き上げた。娘は泣いてうなずいている。(←性格は父親似)
 恥ずかしい? あいさつすることが? 私にすれば思いもよらないことであった。そのあと、連れ合いからさんざん諭された。恥ずかしがり屋の人もいること。人前で話すのが苦手な人もいること。ようするに、子どもといえども自分と同じではないこと。わかっちゃいるけど…。頭で理解しているつもりでも、実際にはちっともわかっていなかったのか…。またしてもやられた!!という感じであった。

 それからは、あいさつにかんしては、手を振るだけでもいいから何か意思表示をしようね、ということだけ言って、友達についてはなにも言わないことにした。子どもも落ち着いてきたようで、知っている人に会うと小さな声だが「こんにちは」と言ったり、バイバイと手を振ったりするようになった。この話を数人の友人にしたところ、「私もそうだった」という人が何人かいて、しかも現在はとてもそうとは思えないのでびっくりしたのである。ある友達は、小さいころから人前に出ると緊張してあいさつが出来ず、母親に怒られはしなかったものの「困った子…」というような目で見られてつらかったと話し、もう一人は、親戚のうちに行くのを前日まで楽しみにしていたのに、実際行くとなにも話せずそのまま帰ってきたことがあると話した。へえぇぇ…。二人とも今はしっかり意思表示のできる立派な社会人として生きている人たちである。

 そういえば、よくしゃべる有名人なんかも「小さいころは無口でした」という人も結構いるし。とかく、「今」ばかり目がいきがちで、五年、十年先を見ようとはしない、そんな視野の狭い人間ではない私は!!などと思っていたのだが、見事に今しか見てない私であった。しかも、子どもがあいさつをしない→親の教育がなってない→「私が」そう見られるのがいやだ、という自己中の図式まで浮かび上がってきてひとり赤面し、穴があれば入りたい気持ちであった。

 現在、娘は小1になった。この前、知り合いのお母さんから、「ナミちゃんとこの前公園で会ったら、走ってきて『こんにちは』ってきちんとあいさつしてたよ」と言われ、感涙の母であった。はじめての「あゆみ」(通知表)では、「みんなの前ではっきりと話す」が「もう少し」になってはいたが、まあ五年先を見てあげようではないか。視野の狭い人間ではないのだから私は。(つづく)